天然ラドン鉱泉水「伊都(糸島)の胃爽水」

糸島市二丈深江ってどんなとこ?
太閤が飲んだ水
 「胃爽水」と命名された、この美味しい湧水の歴史は、今から400年余り前、文禄元年(1592年)豊臣秀吉が肥前国呼子(今の佐賀県唐津市鎮西町)に名護屋城を築いた時から始まります。
 秀吉は、お城の完成を待ち、その年の4月21日博多を出発した18万余の軍勢と全国の諸将を一同に集め、ここ深江の松原一帯(今の深江神社から隣の小学校あたり)で茶席を催し、武将(徳川家康や黒田長政以下百余将)たちへの労いの茶会を開きました。
 茶事では良い水質を重んじる事から、周辺の良水を探し求めました。その一つがこの二丈岳の麓より湧き出る水だったことが、言い伝えられています。
 昔より、この恵まれた湧水は「太閤水」として、親しまれていましたが、近年の開発ボーリングによる水質検査の結果もすばらしく、現在は太閤ゆかりの水として讃えられ、多くの人々がこの地の水を汲みに訪れています。
平家の落人伝説
 二丈の波呂に龍国寺という名刹があります。山麓の静かな集落の外れに寺はあり、水路の流れる坂道から石段を上り山門をくぐると境内。イヌマキの巨木数本が境内に影を落としています。
 原田種直公により建仁3(1203)年に建立されました。源氏方に追われ糸島の地へ逃れた平重盛の側室と源氏方の追手によって暗殺された千姫・福姫の霊を弔うために種直公が建立したと言い伝えられています。
 将軍・足利義満が伽藍、仏像を造立し、また1574年(天正12年)には、原田高種がその子・親種の菩提のため寺を再興しその際、寺の名を龍国寺に改めたといわれてます。
古代からの交通要所
 福岡県最西部に位置する二丈深江は、奈良時代を前後して深江駅家(ふかえのうまや)が存在していました。駅家(うまや)とは、各地域と都との連絡体制を整えるために律令政府により設けられた中継地点で、使者は疲れた馬を元気な馬へと乗り継ぎながら、目的地を目指していました。
 また、駅家(うまや)は、沿岸に渡来した大陸からの使者をもてなす宿泊所としても用いられることもあるなど、九州の中心地であった大宰府へと向かう重要な役所としての役割を果たしていたようです。
 その後、江戸時代にも大名行列の宿泊地として利用されるなど、現在の二丈深江は古代から交通要所として栄えていました。